ブラック・ショーマンと名もなき町の殺人:東野圭吾
タイトル:ブラック・ショーマンと名もなき町の殺人
初版:2020年11月30日(2020年12月30日:3刷)
発行:株式会社光文社
著者:東野圭吾[ひがしのけいご]
ミステリー度は低いかも。なので、ミステリーファンに物足りないかもしれない。あまりミステリー小説を読み慣れていない私にとっては、読みやすくストーリーに引き込まれて面白かった。
コロナ禍での事件を舞台として、コロナ禍だからこそのオンライン葬儀を利用した罠や仕掛けがある。現在進行形で起こっている状況を取り入れたストーリーもまた面白い。外出もままならない現在(2021年2月7日(日))、一気に読み終えた。
初版2020年11月30日。なので、書かれたのはそれより前になる。そして、舞台設定は2021年3月(だと思われる)。小説の中でもまだコロナ禍が収束していない状況は、現実でもまったくもって収束していない状況を見事に言い当てている。(2021年2月は流行の第3波の真っ只中。政府により緊急事態宣言が発令される事態に陥っている。)
伏線は他の作品に比べてやや少ない様には感じた。多ければ良いと言うものでもないので、単に他の作品に比べてそう感じただけ。感覚なので、実際に多いか少ないかも不明。
マジシャンぽいかも知れないけど、少し無理のある設定
あとは、ちょっと無理のある設定も散見された。どうしても私自身がマジシャンの端くれなのでこだわりがあるのかも知れないけれど。
たとえば(ネタバレ注意)、主人公(探偵役:被害者の実弟:元マジシャン)が、何年も帰省していない放置された自分の実家の異変に気がついたシーンがある。仕掛けとしては、部屋に監視カメラ(隠しカメラ)がセットされて、動体物を感知すると、遠方に住んでいる自分に通知(映像)が届くと言う仕組み。警察が来たので、くだんの仕組みによって映像が主人公に届いたということになっている。
そしてカメラのセット場所が、壁に掛けられた女性(ポスター?)の目の部分。そこがレンズになっていて巧妙に隠されている程だが、鑑識が気づかなかったいうのはさすがに無理がある。その程度の隠しカメラに気が付かないわけがない。
「一般的に人間は、何かを想像しながら話そうとすると目が右上を向きやすい。逆に事実を思い出しながらだと左上を向く。極めて大雑把にいうと、嘘をつく時は右、本当のことをいう時は左だ」
P294
「マジシャンならこういう(心理学っぽい)テクニックも活用してそう。」という一般人(=非手品人)の幻想があることは別に悪いことではないが、「目が右を向いたら真実」とかいう様な漫画みたいな話は現実にはない。
なので、少年誌の推理漫画でしたら、この様な空想設定もありかとは思うが、推理小説に用いるにはちょっと稚拙な感じがする。
さらには、神尾武史の誘導尋問にも、みんながみんなひっかかりすぎたり、洞察力の理由付けにも無理が感じられたりもした。営業マンですら誘導尋問には引っかからない訓練をしている。ましてやプロ(警察官)がそうそう安易に裏を疑わずペラペラ喋るとは思えない。
その結果として、推理の部分や謎解きの部分に関して、結構「雑」な感がしてしまう。
マジシャンのイメージ!?
キャラ設定としては、元マジシャンとしてのキャラクター付けをしたかった関係だと思うが、神尾武史のクセが強すぎ。やっぱりマジシャンのイメージは「捻くれ者」なんですかね?(笑)。マジシャンに対して捻くれ者のイメージがあったとしても捻くれすぎ。
反対にヒロインの神尾真世(被害者の娘)のキャラが薄味。神尾武史の対比として、あえて結婚を間近に控えた、平々凡々で一般的な年頃の幸せな女性としたかったということだとは思うけれど。
もっとも、神尾武史に関しては、私がマジシャンという立場で、見てしまうために気にしすぎな部分ではあると思う。
マジシャンとして
曲がりなりにも「アマチュアマジシャンBlog」と銘打っている本ブログでは、以下の点については、述べておかなくてはならないだろう。
まず、マジシャンだからと言って、手先が器用でもなければ、推理力が高い訳でもないし、詐欺的トークが得意なわけでもない。
なので、探偵役の神尾武史は元・手品師ですが、例えば、警察官から目にも止まらぬ速さの手捌きで、(正面から)ポケットの警察手帳と携帯電話を抜き取ることは手品[マジック]ではできません。それはすでに「ガチの魔法使いです」。もしかしたら、スリ師の業界などではそういうことも可能な技術があるのかもしれません。しかし、再度書きますが、マジックとしては無理です(*1)。
(*1)マジックバーなどで、観客が身に付けている腕時計を、観客自身が気づかないうちに、外して盗み取る有名なマジックがあります(もちろん、最後は返却します)。しかしこれもマジックの技術・技法を用いたもので目にも止まらぬ速さの手捌きで盗み取っているわけではありません。
あと、心理的な駆け引きもマジックっぽく扱われていましたが、(某メンタリストを含め)マジックにおいて、心理を読んだり・操ったりすることはできません。(*2)
(*2)手品[マジック]においては、心に思ったことを言い当てた様に思わせる演出なだけで、実際には手品的技法によって巧みに(誰でも)答えを知ることができる様になっています。
とはいえ、作者を含めた一般人(=非手品人)のマジシャンに対するイメージってこんな感じ(神尾武史)なんでしょうね。目にも止まらぬ速さで正確に手が動き、相手の心に思ったことを言い当てられるとか・・・。
いずれにせよ、多くのマジックは、あくまでもいろんな条件を揃えた上での技法であって、決して手が稲妻な様に動く早業であったり、心の中を読めたりするものではありません。
残った謎
神尾武史(サムライ・ゼン)がマジシャンを辞めた理由と、なぜそのマジシャン時代の名を呼ばれることを激しく嫌がるのか。本件には一切触れられていない。
もう一つは、最初のヒロインと婚約者のやりとり。そして、ヒロイン(神尾真世)に送られて来た事件とは関係ないメール(P145)。この二つの伏線が、最後のエピローグで回収されるが、その結末には触れられていない。(ここは、「想像にお任せします。」のパターンかもしれないけれど)。・・・っていうか、このくだり・設定(一連の流れ)は本作に必要だったんだろうか? あるいは、これもまた続編などで回収される予定の伏線なのだろうか?
なんにせよ、続き物として、次の物語があっても不思議ではない終わり方だった。
「俺にしても、(中略)。要するにまあ、騙されにくいということだ」
P274
それは事実だろう。騙しのテクニックにかけてはプロなのだから。
引用中の俺=神尾武史(=マジシャンのサムライ・ゼン)なわけだが、マジシャンは決して人を騙すテクニックのプロではない。
「でも、マジックって騙しでしょ?」と言われそうだが・・・、違うんですよね。その理由は色々ある。しかし、ここは割愛。
本作とは関係ないところ
だめだこりゃ、と真世は脱力感に襲われる。なぜ誰も彼も、あんなインチキ男にコロリと騙されるのか。
P193
ひょんなことから、私自身に本物の詐欺師と話しをする機会が過去にあった。
こちらは、相手が詐欺師と知った上での会話だった。初対面でかつ警戒心をもって接したにもかかわらず、‘すごく感じが良く’、そして‘誠実さすら感じた’。
あれだけの人たらしたる能力を持ってすれば簡単に人は騙せるわ。と思った次第。おかげ(?)で、絶対に初対面の印象などで人を判断しない警戒心は身につけられたと思うけれど。
なので、「あんなインチキ男にコロリと騙されるのか。」の疑問に関して言うと、天性のものなのか、訓練の賜物なのかわからないが、そう言う人はいてるから気をつけるしかない、と言うことです。そして、マジシャンって、どちらかというとそう言うのが苦手な人の方が多いです。
半分以上は作品とは関係のない読後感になってしまった・・・。